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大分家庭裁判所中津支部 昭和51年(家)15号 審判

申立人 森田紀美子(仮名)

相手方 保倉浩二(仮名) 外一名

主文

申立人の本件申立を却下する。

理由

申立の要旨

「申立人は申立外湯浅広基(以下「広基」という)と昭和四五年一一月一三日婚姻し、昭和四六年七月二九日に事件本人が誕生したが性格不一致等の理由で昭和四七年三月九日離婚をした、申立人は事件本人出産後も入院を続けていたため、離婚の際親権者も監護権者も広基に定められた、申立人は事件本人に面接するため、再三広基方を訪れたが拒絶され離婚後一度も面接していない、しかるに事件本人は相手方夫婦の養子となり同所で養育されているが、事件本人は申立人の唯一の子供であり、母である申立人と面接することは当然認められる権利であるから、本件申立をなした」というにある。

当裁判所の判断

一件記録によれば次の事実が認められる。

申立人と広基は昭和四五年一一月一三日婚姻し、大分県○○郡××村大字△△○○○番地において同棲生活を送つていたが、昭和四六年七月二九日事件本人が出生したこと、申立人は妊娠六か月ごろ肝炎を患い、××市所在の○○病院に入院し、事件本人出産のため国立○○病院に入院し、同所で事件本人を出産したが、出産後広基に連絡することなく、事件本人を連れて申立人の肩書住所地の実家に帰つたこと、そして広基らの再三の要求により、事件本人の三三日の祝の際(同年八月三一日)に事件本人を連れて申立人は一たんは広基方に戻つたが、同日申立人は事件本人を広基方に置いたまま実家に帰り、爾来今日に至るまで事件本人と会つていないこと、申立人と広基とは事件本人出生前後から夫婦仲が悪くなつていたが、同年一二月広基が交通事故で入院していた際、申立人から離婚の申出があり、結局翌四七年三月九日調停により離婚し、その際事件本人の親権者を父広基と定められ、広基において事件本人を監護養育することになつたこと、そして爾後事件本人を広基の妹陽子、同人の母タマノにおいて監護養育していたが、陽子が結婚したのと、広基の姉である相手方保倉京子夫婦に子供が居ないことから、相手方夫婦の強い要請により、同年五月ごろ相手方夫婦に引取られ、同年六月一二日相手方夫婦の養女となつたこと、事件本人は爾来肩書住所地において相手方夫婦と同居し、相手方夫婦、隣家に住む相手方保倉浩二の両親になつき、同人らの愛情にはぐくまれて順調に成育していること、事件本人は申立人の顔も母であることも知らず、相手方夫婦を実の親と信じて平和な家庭生活を営んでいること、以上の事実が認められる。

ところで実母が未成熟子に対し面接ないし交渉する権利を有することは、親として当然のことであり原則として制限され奪われることはないのであるが、未成熟子が何らかの事情で実母の許を離れ、他の者の親権又は監護権に服している場合には、親権および監護権の行使との関係で制約をうけ未成熟子の福祉を害する場合には許されないと解すべきである。

しかして、右認定の事実によれば、事件本人は父母の離婚という不幸な境遇の下にありながら、相手方夫婦の養女となり、同夫婦を実の父母として平和な家庭生活を送つているものであつて、かかる状況にある事件本人に申立人が母として面接することは事件本人の純粋な童心を傷つけるばかりか、その精神面における健全な成長を阻害し、ひいては相手方夫婦との平和な家庭生活に波乱を起こすに至る危険性が極めて高いというべきである。

尤もわが子に会いたいという申立人の一途な気持も十分理解ができ同情を禁じえないところであるが、事件本人が成人して事理を弁識できるようになれば格別、それ迄は相手方夫婦の親権、監護権に服している以上、これを尊重して、面接を避け、事件本人の成長を陰ながら見守ることが事件本人の福祉に適合し、同人の幸せにつながるものであるといわざるを得ない。

以上説示のとおり、当裁判所は申立人が事件本人に面接することは、その方法、回数をとわず、現段階では事件本人の福祉に適合しないものと思慮するので、これを許可しないのが相当と考える。

よつて本件申立を却下することとし、主文のとおり審判する。

(家事審判官 将積良子)

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